酒は人が造り、育てるものと言われる。それを支えるのが、蔵人や経営陣である。
では、新潟の酒を支えてきた蔵人や経営陣はどのようであったろうか。     

 研醸会
 昭和28年頃、国税局鑑定官の田中哲朗氏が、「研醸会」を開き、新潟県の蔵元1 5社と長野県の蔵元1社を集め、酒造りの指導をしていたことがある。
 氏は、酒造りに厳しく、「とにかく良い米を用意して、それを磨け」と指導したという。
 磨くとは米を白く削ることで、新潟の酒は、その教えを実行し今のような美味しい酒になった。その元になったのが「越乃寒梅」の蔵元「石本酒造」だった。

 越後杜氏とその育成
 新潟県は全国津々浦々に酒造りの、高度な技術・技を持つ杜氏を送り出してきた。彼らは「越後杜氏」として高い評価を受けている。
 それは、新潟の蔵元「越の華酒造」の“中野三樹太郎”杜氏が全国杜氏連盟の会長を務めている事からもわかる。
 新潟の酒造りを支えてきた者として、彼ら越後杜氏の存在は大きいと言える。
 最近の酒造りは機械化されたとは言え、最後は杜氏や蔵人達の勘による所が大きい。そして、決して楽なものとは言えず、後継者育成は重要な問題となっている。新潟県内には酒造りの学校として「県立吉川高校・醸造科」がある。
 他にも、11年程前に酒造組合と県の醸造試験場が中心に作った「清酒学校」がある。それは蔵元で働く30歳以下を対象とした学校だ。
 講義は、日本酒の歴史から酒造行程、及び販売上の戦略等のほか他の蔵元の見学や互いの情報交換を行っている。

 経営陣
 蔵元・経営陣の「良い酒を造ろう」というこだわりが、美味しい酒にもつながっている。いくら杜氏の腕が良くても、悪い米や、悪い水では良い酒はできない。
 だから、酒造好適米といった良い米や、良い水をなんとか得ようとする経営陣の努力も見逃すことはできない。

 蔵元同士の深いつながり
 一般的に自分達の技術・技能を他人には秘密にするものだが、新潟の蔵元同士、お互いに意見交換を行っている。
 例えば「今年の米はちょっと硬いから水分調整をうまくやらないとダメだな〜」 とかシビアな話までされるという。
 そんな、深いつながりとして、中堅クラスの蔵元10社で開く「越後酒楽会」が上げられる。
 そこでは、酒造期以外の夏場に「技術大学」を開き、講師による酒造りの講義を行ったり、「経営大学」といって、10社の経営者が「これからの時代、どういう方向で行くか」と勉強会も行っている。