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−新潟県 名選手列伝17−



皆川 正さん

 すでに競輪選手だった9歳年上の従兄弟の皆川賢治さんに誘われて、吉田商業の自転車部へ。皆川正さん(46)は1977年の10月に40期生としてデビューし、98年の11月に引退。現在は弥彦競輪の検車場で、選手の自転車を検査、整備するスタッフとして従事している。ニックネームは「ライダー」。高校時代、指導していた川上明雄先生が、皆川さんのちょっと立ち気味のフォームを見て、「仮面ライダーみたいだ」と言ったのがキッカケだとか。

 「スタンディング」。この言葉を知っているのは、20年くらい、競輪に親しんでいるファンだ。今でいうスタートのこと。スターターがピストルを持って「構えて」と叫んで、1、2秒後に号砲を鳴らす。今でこそ、前へ飛び出す選手は少ないが、皆川さんがデビューして、2年後にA級に上がるころ、スタンディングは、ファンにも、選手にも大事な要素だった。前を取って、その権利を生かし、自力型の選手、強い追い込み選手を迎え入れる。1981年の千葉ダービーで恩田康司選手がスタンディングの速さを武器に、中野浩一氏を迎え入れて決勝の2着に流れ込んだ。体の軽い、スリムな追い込み型は、我れ先にと、スタートですっ飛んでいったもの。

 恩田選手の同期、皆川さんも強さの違いはあれ、スタンディングの速さを誇った県最初の選手。「当時は誘導も上がったからね。内にいる方が楽」。当然、横一列のスタートだから、車番が若い方が有利。「だから車番は気になった」。「あと、スリップするから、雨は嫌でした」。ダッシュをよくするために、サドルから後輪のギアまでのバックホークの角度を浅くした。選手の言葉で言うと、「 バックを詰める」。今は号砲が 鳴るまで、発走機がロックされているが、当時は、ロックなんてなく、いつでも出られるフリーの状態。だからフライングもよくあった。「あそこのスターターは構えてから、ドンまでが長い」。スタートの速い選手は それが死活問題だから、そこまで気にするのは当たり前。

 「KPK前。強かった天野康博さんと同じレースになったことがあったんですよ。そのとき もスタートを決めたけど、千葉のO選手と天野さんは話ができていると思って、Oさんを前に入れちゃって。でもOさんは天野さんを入れない。僕も訳がわからなくなって、連係できず、 ズルズルと車を引いたことがあ りましたね」。レース後に、天野さん、「何考えてんだ」。

 「俺なんか、優勝はB級で1 回だけの選手だったから、話すことなんてないよ」と笑っていた皆川さん。「プロの自覚というか、よそから見られているということで、社会人として、ちゃんとさしてもらった」。口ひげが引き締まって見えた。