1997年11月で25年間の選手生活にピリオドを打つ。現在は競輪場の相談員として従事している古沢敏朗さん(52)。A級優勝こそ笠巻清貴さんの先行を追い込んで、売り出し中だった菅田順和を破った1回だけだが、「決勝にはこれでもけっこう乗っていたんだよ」と笑う。「今は売り上げの方が気になるね」と、このときは真剣な表情になった。
デビュー戦は1972年4月の弥彦。笠巻清貴さんと同じ配分で、決勝は先に逃げて、 笠巻さんのカマシを急追して準優勝。でも1カ月後に腰の痛みが出て4カ月も休む。家 の人たちは「やめた方がいい」 と言ったが、続行した。1年目の冬には群馬のカイロプラクティックへ。新潟でも安塚の方にあった治療院に通ったし、分水町に知り合いが治療院を開業してから長い付き合いが始まる。 「それまで何ともなくて、急に動けなくなってしまう。発走前の準備体操で体が曲がったままになって、急きょ欠場なんてこともあった」。1983年1月には小倉で股関節はく離骨折。「このときはもうダメだなと思った」が、7カ月休んで復帰した。「選手の体は丈夫にできているんだな」と笑う。「でもこの事故が引退を早めたと思う。腰もなかったら、もっと長めの乗り込みもできたのに、と思うことはある」と振り返るが、 「だからといって、強かったとは思わない。もう少しはやれたかなと思うくらい」。そう言ってまた笑った。 |