この危機感を脱出するためにプロジェクトチームが結成され、KPKが発表される。幾多の問題を試行錯誤しながらついに83年4月1日からKPKがスタートした。これが現在のS級3班、A級4班、B級2班制。S級1班130人の頂点には中野浩一(現評論家)が君臨した。。そのトップスターの中に下表のように新潟勢からは天野康博(29期)と原田則夫(41期)が名を連ねた。そして新潟勢は7人ものS級選手が誕生し、全盛期ともいえた。
KPK最大のセールスポイントは各級の実力の格差が縮まり低配当の防止。さらにはこれによる競争の激化だがこれはファンが最も望んだことであった。過去の競争形態は一番強い先行型には一番強い追い込み型がつくという暗黙の了解があって、堅く収まる競争が多々あった。これがライン戦に発展して格下の選手でも展開次第では勝てるチャンスが増した。好配当の続出で、ファンの足が競輪場へ戻ったことでも大成功だった。
そして現在再び危機感におそわれている。KPKにつづく新たな構想が必要とされる。
級班 | 選手名 | 旧班 | 現在 |
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S1 | 天野 康博 | A1 | B2 |
S1 | 原田 則夫 | A1 | A1 |
S2 | 渋川 久雄 | A2 | 引退 |
S2 | 小川 隆 | A2 | B2 |
S3 | 笠巻 清貴 | A2 | B1 |
S3 | 池田 哲男 | A2 | B2 |
S3 | 小林 政春 | A2 | B2 |