競輪の大革命”KPK”(競輪プログラム改革構想)

 競輪が始まった1948年(昭23)には男子選手がABC3級、女子選手がAB2級に分かれてスタート。その後51年に男子ABの2段階で、女子は男子B級待遇になる。その後班別制度を取り入れたが、64年10月に女子選手が登録削除となる。そして67年にA級5班、B級2班制に変更された。その時のA級選手は数は2449人、B級選手数は1302人。この形態で安定期を保ったが、75年から公営施設全般が下り坂となり競輪界も赤信号が点滅する。原因は施設の問題と「レースが面白くない」など・・。

 この危機感を脱出するためにプロジェクトチームが結成され、KPKが発表される。幾多の問題を試行錯誤しながらついに83年4月1日からKPKがスタートした。これが現在のS級3班、A級4班、B級2班制。S級1班130人の頂点には中野浩一(現評論家)が君臨した。。そのトップスターの中に下表のように新潟勢からは天野康博(29期)と原田則夫(41期)が名を連ねた。そして新潟勢は7人ものS級選手が誕生し、全盛期ともいえた。

KPKによって競輪が変わった

 KPK最大のセールスポイントは各級の実力の格差が縮まり低配当の防止。さらにはこれによる競争の激化だがこれはファンが最も望んだことであった。過去の競争形態は一番強い先行型には一番強い追い込み型がつくという暗黙の了解があって、堅く収まる競争が多々あった。これがライン戦に発展して格下の選手でも展開次第では勝てるチャンスが増した。好配当の続出で、ファンの足が競輪場へ戻ったことでも大成功だった。

 そして現在再び危機感におそわれている。KPKにつづく新たな構想が必要とされる。

KPK発足時の新潟県S級選手
級班 選手名 旧班 現在
S1 天野 康博 A1 B2
S1 原田 則夫 A1 A1
S2 渋川 久雄 A2 引退
S2 小川  隆 A2 B2
S3 笠巻 清貴 A2 B1
S3 池田 哲男 A2 B2
S3 小林 政春 A2 B2


[バックナンバーのページへ]