一、 白嶺青龍 
      
      雄大な自然 壮大な歴史

       夢と志を育む阿賀津川の教育

 東方に聳え立つ飯豊連峰の嶺々から南方の御神楽岳山頂まで、白嶺を擁する勇壮な風景は阿賀津川中学校の広大な学び舎。東蒲原を教室に、ふるさとを学び舎として、未来を生きる主体的な学びの姿を育む教育課程・「白嶺青龍 阿賀津川の教育」を展開している。 中学校3ヶ年の時間を限りとし目指す目標への弾みと励みに変え、広大な校区多様な教室で「いつでも どこでも どのような状況でも」学び続ける、自らの生き方を拓く人として育成する。 夢をえがき、学びへの意欲を高め、豊かな感性を育み、たくましく生きる力を自らが育むためには、個々の目的に向かい未来創造を支え続ける「志の在り方」が重要となる。
 雄大な自然、壮大な歴史を学校として、自身の夢をえがき、夢の実現のため、白嶺青龍をかかげ志を朋とし、大勇をもって自らを育んでいく教育を力強くすすめていく。







三、 自らの志をはぐくみ続ける人に

 
 「白嶺青龍 立志の峰処」桜木は、真っ青な夏空に沸き立つ青雲のごとく、峰処頂きからたくさんの葉を勢いよく広げ、天空に向かって伸びている。

 いま日本や世界は、これまでの仕組みや機構、機能が短い時間の中でその多くは姿を変えている。これまでの我々のなかで「普通」「あたりまえ」とされていたものは、基準や価値観が急変している。

 これからを生きる生徒たちの未来は、わたしたち大人が感じているように、混迷は計り知れず、混沌としているにちがいない。しかし、社会がどのような変化を呈しても、変えてはならないことがある。子供たち一人ひとりが自分のえがいた自身の夢を必ず実現するということである。夢の実現にはそれぞれにあった力が必要となる。自分の力をつくるには「志」の在り方如何は重大であり、志をもつことは不可欠の要件である。

 阿賀津川中学校の日々行われる教育活動の中で、生徒は「志」をはぐくむ学習活動を広大な校区一帯を教室に展開している。東蒲原の雄大な自然、今日までをつづる壮大な歴史。広大・雄大・壮大な学びやで、あらゆる事象を、学びの教室、学びを展開するための教材とし、これからを生きるため、この地に在る学校でなければつくることのできない特有の人物である自身として育っていく。独特なものの見方、価値観、基準を自らが育み、時間、空間、人間関係、ものごとを推し量る尺度、特有な世界観を自らのなかに形づくっていく。

 学校の北方、会津街道諏訪峠を見る「立志の峰処」。頂に幼いながらも豊かな葉を広げ、日々成長を遂げるオオヤマザクラ。志を自らはぐくみ続け生きることの大切さを教え、未来を力強く目指す若人のあり方を語りかけている。







四、 白嶺青龍 青雲の志


 東蒲原の雄大な山河を教室に、阿賀青龍祭、白嶺祭などなど。それぞれが自身の目の前に展開する時間にむかって、たぎる思いを胸に、果敢に挑戦し、未来創造をかけ、夢をえがき頑張った一年だった。あたかも、青々峻嶺なる山なみ頂から天に向かってわき上がる白雲のような、真の熱情ほとばしる躍動する阿賀津川中学校の生活だった。

いま、日本の社会、世界に目を向けると、世相は混沌とし、人々の生活は様々な困難や問題を抱え、次代を担う大切な若者たちに仕事がないなど未来は不透明さに覆われている。

人がいつの世も元気に生きていくことは、自身の生に対する責務であり重要な課題である。わたしたちは学習するなかで、大地の歴史、人の歴史を学んでいる。顧みて、有史以来、どの時代を見ても人々の幸せが保証されている時間など一つとして見つけることはできないのである。

人の幸せに定義はない。これは「幸せだ」とする形はこの世のどこに見ることもできない。しかし、人が「幸せである」と思えるタイプにはいくつか挙げることができる。

それは、自身が価値を認める有形無形の概念、思いえがく夢や希望が叶い、目標、目的に到達していると自分が確かに思えること。「自分は幸せだ」言える。これは幸せに違いない。反面、目指す夢は叶わず、未だ混迷、苦渋、苦難、不安定の最中にある。「あれは不幸だ」と他からは見えるであろう。このことをそれぞれは何と見るであろう。「不幸だ」であろうか。否、そうではない。苦難や問題の前で、挫折してもなお立ち上がり、自身を励まし、目指す夢にむかって懸命に努力し、目標を追い求める。問題の渦中にあり、不安の連続、道半ばであっても、気概と自身の誇りを失わず生きていることは、一見不幸そうに見えて「幸せ」そのものの姿なのである。

感じる「感じ方」は、その人がもつ感性如何によって随分と見解は異なる。人としての豊かな感性は学問をすることによって育まれていく。豊かな考え方の基礎基本は、学問することで、より強固になり可能性は高まる。「学び」続けること、学問し続けることは大切である。「学び」は、事象対象のまえで自身の「思考」が動いているかどうかで知ることができる。

これからの世の中がどうあろうと、未来が不透明であろうと「自身の幸せは必ず自分がつくる」大いなる気概をもてる自分をつくることが重要である。万難をも乗り越えていく青雲の志をもち、阿賀津川中学校「白嶺青龍」を胸に、大勇をもって未来を生きていく。




五、  白嶺青龍  立志の賦

 

『逍遙遊学問  悠久時対峙』悠久の時間空間に対峙し、人生を、多くを学び続け生きていく、という決意を刻んだ青年期のわたしの詩賦一文である。

この日本に生まれ東蒲原に育ち、青々峻嶺なる壮大な山なみ、悠久の長大な流れに、人の在り方、人の生き方の如何を教え育ててもらった。

中学3年生の時「三国志」と出合った。中国史200 年頃、「魏の曹操」「呉の孫権」「蜀の劉備」の三者が、広大な中国大陸の覇権をかけて争った物語である。夢中で読みふけった。三国の中でも、蜀の国の地形や風景は驚くほど東蒲原と似ていると思った。現在の四川省一帯が中心である。揚子江上流の三峡大峡谷は東蒲原阿賀野川峡谷に見ることもできる。三国志に出てくる人々の、途切れることのない凄惨な戦いのなかでも生きようとして生きたそれぞれの人の考え方、生き方のあざやかさに感銘した。中でも蜀漢皇帝劉備玄徳が「三顧の礼」をもって迎えた「諸葛亮 孔明」には魅了された。曰く『夫學須静也 才須學也 非學無以廣才 非志無以成學』 人は学ぶことにより自身の才能を発揮することができる。志が無ければ学ぶこと、学問の大成は無い。諸葛孔明は学ぶことと志をこのように言っている。人は生きるにあたり、自身の未来を切り拓き、創造成すため学問する。学び続けることは大切である。学びは志によって開花する。

これからの世がどうあろうと、「自身の幸せは自分がつくる」大いなる気概をもてる自分をつくることが重要である。万難をも乗り越えていく青雲の志をかかげ、阿賀津川中学校「白嶺青龍」を胸に、大勇をもって未来を生きていく。




 

二、 未来創造 志の育み

 学校のグランド南方に小さな山を造った。 小高い峰処に立ち、北方を臨むと、中学校の建物、その向こうに標高510mの諏訪峠、連なる連峰が一望に見える。阿賀津川中学校生徒がこの峰処に立ち、自身の在り方を問い、自分の人生を想い、夢をえがき、未来へと向かうための志を育む「白嶺青龍・立志の峰処」である。
 ここから見える諏訪峠は、東蒲原では意義深い象徴的な場所として位置づいている。近代日本が始動する明治期まで、日本各地から多様な文化は唯一この越後・会津街道を通って流入した。
 東蒲原は高い山々が林立して囲み、他地域と地理的に隔たっている。多くの人々、さまざまな物資が行き交い、近隣諸国、日本や世界の動向、人々が生きて幸せであるための知らねばならない情報、貴重な文化が入る場所として必要欠くべからざる存在であった。近代日本のあり方を説き、教育者でもある幕末の志士・吉田松陰は1852年嘉永5年2月8日、玄関の諏訪峠を越えている。松蔭の冬の東北行きは誰に言われたことでもなく、命令されたことでもない。国と人々の幸せのために自らの志をもって日本を旅し、この時、東北日本海視察を行っている。
 松陰はやっとの思いで難所の諏訪峠頂上に立ち、眼下の東蒲原を睥睨し、「奥野越山天に連なって白く、平川一條青螭を走らす」と記している。青螭(せいち)とは青龍を指す。
 生徒が生きるこれからの未来は不透明に満ちている。松陰の時代、十分な情報は多くの人々には入らない。にもかかわらず、憂国の想いと青雲の志で、道の世界を自らが知るため、どのようなことも真っ直ぐに向かった松陰の生き方に学びたい。
 どんな時代も、どのような事態状況であろうと、人の未来は自身の志の在り方で切り拓くことができる。「白嶺青龍・立志の峰処」は志の育み、夢の創造を弛みなく語りかけてくれる。晩秋にはこの峰処に学校の樹・オオヤマザクラを植える。

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  建学の理念