【 東寧県にはアジア最大の日本軍地下要塞があった 】

◆1935年以降“関東軍”は、“対ソ作戦”に備え、「東寧要塞」の建設に着手した。

◆“麻達山”・“409高地”・“三角山”・“勝洪山”・“朝日山”等の地下要塞群の規模は、南北方向20q、東西方向9qに達する。

◆地下要塞は、弾薬庫・発電室・医療所・指揮室・航空無線電信室・炊事室・兵舎・監視所から成り、供水・暖房・浴室等の設備を備えていた。

◆関連する軍事構造物は、陣地7カ所、野戦陣地45ヶ所、軍用空港10ヶ所、地下弾薬庫84ヶ所に及ぶ。


◆「東寧要塞」には、3個師団・1国境守備隊から成る10余万名にのぼる“関東軍”が駐屯した。

◆師団司令部は万鹿溝に置かれ、最高指揮官は陸軍中将昭原津多。


◆「東寧要塞」及び東寧県には、20カ村に“従軍慰安所”が設けられ、“慰安婦”の総数は1000人以上を数えた。


◆「東寧要塞」の築造に当っては、17万余の“労工”が駆り出された。確かな証言に拠ると、吉林省楡樹県から強制連行された“労工”だけで4700人にのぼった。

◆老城子溝村の東北部山麓に、これら“労工”が埋葬された墳墓1000余カ所が現存している。東北烈士記念館が1994年に実施した発掘調査の結果、わずか102平方mの墳墓から18体の“労工”の遺骸が発見されている。

◆最近の調査の結果、これらの墳墓の他、計3カ所で“万人坑”が発見されている。

◆1999年4月、「東寧要塞」で新たに細菌弾と毒ガス弾が発見されている。

○○○○○○○○○○○○< 出所:1999年4月20日&4月21日付け「黒龍江日報」 >