中国湖南省西部の山間地帯。
1980年初頭でも交通手段がほとんどない山間部を仕事場とする初老の郵便配達は、長年の仕事を息子に引き継ぐことになった。
その厳しさから、いつしか足を患い、薬の投用もままならず、郵便局長から体を心配され、退職を勧められていたのだ。
集配は一日約40kmの峻険な山道を移動し、大きなリュックいっぱいの手紙の束、新聞、雑誌などを、心待ちする人々の元へ運び、新たに預かる。
一度の配達に二泊三日の行程をかけて、やっと家に戻る・・・本当に過酷な仕事なのだ。
朝露に濡れた細い山路で、すれ違う村人への対応もおぼつかない息子に、“人が来たら右に寄れ”と教える父。
最初の村を発つ二人を、村人が総出で見送る。今日が、父の最後の集配と知っていたのだ。
緑濃い山道を行く。
やがて訪れた五婆さんは、目が見えずで一人住まいの身だ。
都会の大学を出た孫から年に一度の生活費が送られて来る。
父は、そのお金だけが入れられた封筒にあたかも実際に孫が書いた手紙が同封されたかのように、読んで聞かせていたのだ。
自分の歳も41歳と偽り、五婆さんに余計な心配をかけまいとする父。
いつも同じ決まった文章だったが、何よりもそれは五婆さんにとって、孫からの嬉しい心待ちの便りなのである。
山を下り平坦な田園を歩くときは、いつも心がなごむ。あぜ道で出会ったトン族の娘は美しく、光り輝いていた。
“24才の息子だ。私の跡継ぎだよ”と、息子を紹介する。“今夜はお祭りだから
(右上へ) |
(左下より)
楽しみにしてね。”やさしい笑顔で娘は二人を家に招待した。
かつて父は、配達途中で、足を捻挫した若い娘と出会い、嫌がる娘を説得しておぶって山を降り、家に送り届けた。こうして父と母は出会ったのだった。
翌日、一番の難所、川に出た。浅瀬ながら、雪どけ水は凍るほど冷たく、父の足を悪くした一因だ。
息子は父を背負い、川を渡る。
焚き火をして体を暖めながら父が語る。“お前が生まれた頃は、ほとんど家に帰れなかった。そんな頃、郵便配達をしていてたった一度だけ自分宛ての手紙を受け取った。母さんから・・・お前の誕生の知らせだった。”
“父さん、もう行かなきゃ”――“次男坊、聞いたか?あいつ、初めて父さんって呼んだよ”
配達の道はさらに続く。
“次男坊”が突風に舞った手紙をキャッチするというお手柄もあった。
その夜、宿泊を世話してくれた家で、疲れから深く眠りこむ息子。もう安心してこの仕事を引き継げる。父は、頼もしく成長した息子の寝顔にまだ残るあどけなさを見て、ひとり相好をくずす。
“これでいいんだ・・・。”
父と息子にとってそれぞれあったわだかまりや遠慮は、もうほとんどなくなっていた。
翌日の早朝。母が笑顔で待つ村の小橋へ、軽やかに帰り道を急ぐ、ふたりの姿があった・・・。 |