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新潟県日中友好協会会報


会報第30号

発行:1998年8月20日



第一面


日中ビジネス研 加茂市に創設
(有)日中ビジネス研究所 取締役所長 王 裕晋
新潟経営大学講師・経済学博士
TEL.&FAX.0256-52-1683 E-mail:oneasia@fsinet.or.jp

私は、1993年に友好学校関係に基づき、客員研究員として日本に参りました。
一年後に、新潟大学博士課程に入り経営学を専攻しました。
この三年間、「中国経済法律研究会」(会長・片桐敏栄弁護士)から勉学を支援していただきながら、会員企業向けに対中投資・貿易業務のアドバイスと業務支援を行ってきましたが、中小企業が国際ビジネスを行う際の困難にも直面してきました。
ここ数年、中国経済は量的追求から質的追求に変わってきています。日本と同質な部分も増え、多くのビジネスチャンスが生まれてきています。また、対中ビジネスの主体も、大企業主導から中小企業が自主的に展開する時代に入っています。
これらの要請に応えるため、1998年の3月に、有志者らとともに「日中ビジネス研究所」を興しました。
私たちの研究所は、シンク&ドゥーの地域密着型対中ビジネスのコンサルティング、サポーティング企業を目指しています。つまり、経済交流を探る企業や、グローバル経営を目指す地域の中小企業に迅速かつ正確な情報を提供し、貿易や海外進出にともなう様々な問題について相談にのり、皆様の立場で実務のお手伝いもしたいと思っています。
主な事業内容は― @対中貿易・投資に関するコンサルティングA貿易仲介・輸出入業務の代行B翻訳・通訳業務C関連教育事業D中国特産のアイディア商品の企画E中国語版ホームページの制作 ―などであります。
経営の効率化、雇用制度の見直しなど産業構造の転換を迫られている今、「アウトソーシング(業務の外部委託)」をお考えになってみては如何でしょう。
「日中ビジネス研究所」は、常に変化している対中ビジネスに挑戦されている企業の皆様のお役に立ちたいと願っています。


北村製作所・中国企業三社が合弁
“北京北鈴専用汽車有限公司” 技術協力で順調な業績

自動車ボディーメーカーの株式会社北村製作所(本社=新潟市両川一・北村泰作社長)が、いすゞ自動車と組んで、中国企業三社と北京市郊外の海淀区で日中合弁企業「北京北鈴専用汽車有限公司」というトラックボディー工場を稼動させてちょうど三年になった。
「やっと軌道に乗り、今年は利益が出ると思います」と笑顔で話すのは北村社長と近藤秀夫常務。
同公司の資本金300万ドルのうち、北村製作所が60万ドルを出資しているが、資本参加以上に重要なのが、ボディーメーカーとしての技術提供だ。
稼動前には技術習得のために中国の技術者12人を新潟に出張させ、トレーニングを行った。また、北村製作所側からは社員2人を常駐させて、品質管理を徹底させた。現在でも折にふれては技術習得のために来日させており、九月のモーターショーには研修に10人ほどが来る予定。
成長を続ける中国経済の中で、昨年は北京を中心に、小型トラック、保冷バンなどの特装車など350台を供給、1998年は生産目標を600台においている。また、ボディー用の部品も新潟に輸入し、同社で使っている。
中国のボディー市場の一割に当る1500台ぐらいは供給したいという。また、日本でも通用するような、冷凍車用のドアハンドルとか小物部品の輸入も、現在は月に五百万円程度だが、量を増やして三千万円くらいになればメリットがあると話す。
自動車産業が国内で伸び悩んでいる中で、中国市場への参入と、ボディー部品の輸入による国内生産のコスト削減は、同社の生き残り策の一環でもあるようだ。
(県日中理事 村上 宗之)


第二面


'98新潟県日中総会
5月30日に開催

1998年度の総会が5月30日、新潟市のホテル新潟で開かれ、97年度の活動報告と決算を承認、新年度活動計画、予算を決めた。
また、高橋傳一郎会長、奥村俊二理事長ら役員全員を再任、本田淳事務局長を理事・事務局長に選任した。
なお、規約を一部改正し役員の任期を2年とした。


新年度の活動計画は―
@中国総領事館誘致活動に対する支援A佐渡郡新穂村・陜西省洋県間の交流に対する支援B次代を担う日中友好人士の育成と組織化C九八新潟「大中国展」の開催(事業は終了)D訪中交流機会の提供E情報の収集と提供活動F交流事業への参加G中国留学希望者の公募・推薦H会員の拡大I日中関連団体との連携―が柱。

前年度の活動の中では―
@地方自治法施行五十周年記念自治大臣表彰の受賞〔中国との民間交流の主翼を担い、その活動を通じて新潟県の国際交流に寄与したとして十一月二十日受賞〕A中国定期航空路招致活動への参画〔七月二十四日から二十七日まで新潟市エアポートセールス団に高橋会長、奥村理事長、本田事務局長が参加、新潟〜西安便実現のため陜西省・西安市政府、中国民用航空総局、中国西北航空公司に対し空路開設を陳情〕B陜西省人民対外友好協会と友好交流関係提携の覚書に調印〔十一月五日中国西安市において高橋会長と陜西省対友協会長(代理)饒篤釣氏との間で調印〕―が特筆される。

総会の後記念講演が行われ、中国西北航空公司新潟支店長張智さんが「新潟〜上海・西安便の就航」、中国北方航空公司新潟支店予約マネージャーの王粒さんが「新潟〜哈爾濱便の就航」についてそれぞれ説明した。
(県日中理事 村上 宗之)


黒龍江省三江平原
龍頭橋ダム
9月中旬に着工

8月13日付けの黒龍江省水利庁のFAXによると、三江平原龍頭 橋ダムの建設工事が 9月中旬に始まる見込み。
ダム起工式典に当協会から 5名が参加するよう招聘するとの内 容で、現在、1979年以降同事業に参画してきた関係者に呼びかけ ているところ。
なお、龍頭橋ダム建設事業については、1996年12月に30億円を限度とする日本政府の円借款供与が決定している。


新潟県佐渡郡新穂村
陜西省漢中市羊県
友好交流協議書に調印

国際保護鳥トキが生息しているのは、地球上で、佐渡と中国陜西省洋県のみであります。
一九八五年、日中野生鳥獣保護会議でトキの保護・増殖に係る日中の合意が為され、以来13年目、トキを中心とした交流が洋県との間で為されてきました。
一九九八年六月二十日、上海・西安線交流促進訪問団(団長=平山征夫新潟県知事)15名は、交流が続いている陜西省洋県を訪れることができました。
この度は新穂村としては昨年八月に続いての訪問で、今年十一月に新穂村において締結を予定していた洋県との「友好交流協議書」の調印が主な目的でした。
二十二日、長時間に亘る夜行列車の疲れを感じながら、雨降る漢中駅での熱烈歓迎や洋県まで一時間半の沿道での歓迎振りは、トキを絆として培われた友情の証であったのではないかと感じました。
当日10時からの洋県政府庁舎での歓迎式、新穂村と洋県との「友好交流協議書」の調印には、平山知事、高橋傳一郎新潟県日中会長、鐘高適陜西省林業庁庁長(省長代理)が立ち会われ、本間権市新穂村長と李家典洋県県長との間で協議書の締結が為され、固い握手のもとに事実上の姉妹都市提携が為されました。
内容は―@トキ保護・増殖の協力強化A経済・文化面での交流―など五項目での合意で、特に懇談では、経済交流に積極的な姿勢を見せている他、青少年の短期留学、スポーツ面での交流や農業技術者の受入についての要望もありました。
洋県での友好交流締結終了に際し洋県から新潟県と新穂村に、県鳥でもあるトキが大空に悠々と舞う図柄の掛け軸が贈られましたが、近い将来このようになって欲 しいという気持ちの表われと感じまし た。
最終日の二十三日、程安東陜西省省長との懇談では、新穂小学校の児童が省長へのメッセージを書いた色紙、手紙が村長から手渡されまし た。
程省長は、「今世紀中にも日本にトキを貸し出せるよう中国政府に対しお願いしたい」と約束し、知事・村長と固い握手を交わしました。
早いうちに借り受けが実現する のではないかと期待をしています。
今後洋県との交流は、十月十日頃より陜西省、洋県県長等要人の来県・来村が計画されております。
「友好交流協議書」を足がかりに、開設されたトキ・ライン、トキを絆とした友情・友好が更に飛躍的な発展を遂げるものと信じています。
(新穂村企画商工課長 引 野 晃)


“トキ”保護国際ワーク・ショップ '99
1999年 9月 6日から10日まで、上記の ワーク・ショップが陜西省漢中市で開かれます。
主催は中国野生動物保護協会・中国林業科学院・陜西省野生動物保護協会。
=お問合わせは県日中まで=


第三面


視点・論点

新潟県日中友好協会が誕生 して二十年の歳月が経った。初期のころと、現在とでは日中関係も随分変った。
このことは、日中友好協会の活動分野にも大きな変化をもたらし ている。
故佐野藤三郎会長率いるところの県日中は、中国側が交流の相手として友好協会を主な窓口にしていた時代でもあ り、県日中は県内と中国とを結ぶ大きなパイプであった。
国と国との交流の基礎になるのは人と人の人的交流であることはいうまでもない。
人的交流の信用が、やがて三江平原の開発問題へと進展していった。
そこには、同平原を何度となく訪れて調査に協力 した人たちの汗があった。やがて、政府間レベルの交渉に移り、円借款による開発へとつながった。
これは、佐野藤三郎さんの大きな力によるものだが、県日中に集う会員のみんなが、それぞれに自分たちの力の許す範囲で、いろいろな形で日中友好に情熱を燃やしてきた。
しかし、冷戦の時代が終わり、外交の環境にも大きな変化が生まれた。
新潟県の日中関係でこれを見ても、県と黒龍江省、新潟市と哈爾濱市をはじめ、地方自治体同士の友好関係があちこちに生まれ、親密の度を増していった。さらに、経済関係に発展し、会社間の取り引き、合弁会社への進出など民間の往来も増加の一途をたどっている。
いってみれば、県日中がお世話する出番が減ってきたということだ。
県日中には地域組織がある。地域組織では各地域の実状に合わせ、地道な友好活動に汗を流している。これは尊敬すべきことであり、地域への大きな貢献である。
しかし、県日中には活躍の場が狭まった気がする。地域日中との協力、黒龍江省など中国の対外友好協会との関係の強化、中国情報の会員への提供など重要な役割はある。
しかし、何か物足りない。これは汗をかく仕事が失われつつあるからではなかろうか。
みんなで汗をかくことが組織の活性化につながると思う。
(県日中理事 村上 宗之)


組織強化を目指して
「青年婦人層育成」、「法人化問題」 をテーマ
とする二つの検討委員会が設置されました。
青年婦人層育成検討委
委員長=上越日中選出理事 宮澤 一也氏

当協会の会員は六十代、七十代が中心であり、青年層、婦人層の参加が急務となっています。本年が日中平和友好条約締結二十周年に当る節目の年と考えた場合、一層その必要性を感じます。そのために地域日中の意見をお聞きしながら青年部・婦人部の結成を目標に検討して行く方針です。

法人化問題検討委
委員長=全国日中・県日中理事 巾 昭氏

この春制定された特定非営利活動促進法(NPO法)―施行予定は十二月一日か―によりボランティアなど社会貢献活動を行う団体の法人格取得が可能になりました。
当協会は、発足以来任意団体として経緯していますが、法人格をもつことにより―@社会的信用を得るA組織強化につながる〔逆に社会に対する責任もある〕―等々と判断、同法の施行期日を踏まえながら法人移行への研究に取り組みます。
(県日中理事・事務局長 本 田 淳)


一日も早く中国総領事館を

新潟県は、中国向けの「西安便」・「哈爾濱便」が今春開設されたことを機に、中国総領事館誘致の活動を続けています。
これについて当協会は、新潟に総領事館が設置されれば―@日中友好交流がますます進展するA在留中国人の拠り所となる―等々と判断、去る5月30日に開催された総会で同誘致活動を支援することを決議しました。
現在、中国の領事業務は大使館(東京)の領事部の他、大阪・札幌・福岡・長崎の総領事館で行っていますが、新潟誘致が実現すれば日本海側初となり、期待がもてます。
総会における「中国総領事館誘致」支援決議を受け、まず最初の行動として、当協会会長、吉川・上越・新発田・柏崎刈羽・栃尾・中之口の各地域日中の会長、それに総会議長を加えた連名による請願書を作成、去る7月23日平山征夫知事宛てに手交、促進方を陳情しました。
(県日中理事・事務局長 本 田 淳)

【参考データ】
在日中国人統計(近県) 出所:1995年(平成7)国勢調査
新潟 1,352
山形 730
福島 1,168
長野 3,114
富山 750
群馬 1,953
(小計) 9,067

第四面・第五面


中国線就航 新潟空港問題を考える
新潟〜上海・西安/週2便 新潟〜哈爾濱/週1便
中国二路線就航

今年(1998年)に入り、新潟空港から中国へ待望の二本の定期航空路が開設された。
一本は三月、中国西北航空が開設した新潟〜上海・西安線で、当面週二便の運航である。
いま一本は中国北方航空が六月に開設した新潟〜哈爾濱線で週一便の運航である。
日本海側の中核国際空港を目指し、対外路線の拡充強化を課題とする新潟空港関係者は、早くから平山征夫知事を先頭に中国路線の開設に向けエアポートセールスを展開、中国民航総局をはじめ国際航空、西北航空、北方航空などの各社に新潟〜中国路線の開設を働きかけてきた。
一九九六年十一月に平山知事が訪中、これに地元関係者も同行し、北京では民航総局など航空各社を訪ね、エアポートセールスを本格的に展開した。
その要望は、新潟〜哈爾濱〜北京線の開設であり、新潟〜上海(又は北京)〜西安線の開設であった。知事は中国当局に新潟空港の滑走路、ターミナルビル、運用時間などの現況を説明したほか、マーケットエリアの隣接県、東京へのアクセス、ウラジオストクを経由して哈爾濱・北京に入るのは上海経由よりも800kmから1000kmの短縮となること、また新潟〜上海線はビジネス・観光客の需要が見込めることなどを力説した。
中国側は新潟空港の潜在需要に理解を示す一方、中国の歴史と文化を説き、西安・桂林・敦煌などの集客力を挙げ、双方ともに日中航空交渉に向けて努力する、としたものだった。
一方、新潟〜哈爾濱線の開設については、友好都市の提携や友好県省の交流をふまえてその動きは早く、一九八三年頃から当県日中など地元関係者が中国当局に働きかけ、これが不可能な場合はその前段階として、中ソ両国に、新潟〜ハバロフスク〜哈爾濱を結ぶ三角空路の開設を提案していた。
これは、一九八九年九月に開設されている。
このたびの二路線の開設はこうした背景と中国航空各社の積極的な支持によるものであるが、この二路線の開設を機に、地元空港関係者はこれからの集客、需要開拓に向けてさらなる努力をしていかなければならない。
いずれにしろ、このたびの新潟〜上海・西安、新潟〜哈爾濱線の開設を祝福し、今後に期待したい。
(県日中理事 渡 辺 実)


OPINION
自立求められる新潟空港
地方拠点空港間競争のなかで・・・

本年は、新潟県の国際化にとって特筆すべき年となりそうだ。
イルクーツク便以来の新規路線が「上海・西安」、「哈爾濱」、「グアム」とたて続けに開設され、更にハワイ、マレーシア路線の定期化も有望視され、本県の国際定期路線が従前の四から七へ、場合によっては倍増ということになるからだ。
特に県日中友好協会にとって悲願の中国路線が二つ、そのうちに黒龍江省の哈爾濱が入っていたことは正に満願成就の感がある。 また、「日本海大交流時代の旗頭を標榜する」新潟県にとっても、環日本海の中核都市を自認する新潟市にとっても、韓国・ロシア・中国の三カ国との空路がそろったことは、名実ともにその初志へ向け新たな一歩をしるすこととなった。
ここへ至るまでの官民挙げての友好交流が報われたといえるが、やはり大きかったのは2500m滑走路の運用開始とターミナルビルの完成等の基盤整備であり、なかんずく第七次空港整備五カ年計画での地方拠点空港という位置付けがなされたことであろう。
しかし喜んでばかりはいられない。倍の路線の開設は即、倍の利用者が必要ということになる。それを支えるだけの力があるかどうか、今新潟は正念場を迎えているといえるだろう。
新東京国際空港(成田)、関空を除いた札幌、仙台、名古屋、広島、福岡と伍した地方拠点空港として自立していけるのか、競争のなかで埋没して並みの地方空港として存立するのか、アジア経済の混乱と国内不況の中で課題は大きい。

実質運賃に格差

例えば、航空会社間の競争の激化は実質運賃の格差を招来している。新潟〜哈爾濱便を例にとってみよう。高崎市の団体が五日間の行程で哈爾濱視察を計画した。新潟〜哈爾濱間は週一便なので片道を哈爾濱〜ソウル〜成田とし、念のため往復ソウル〜成田の見積もとってみた。
すると新潟を使うと十八万円、往復ソウル〜成田にすると十四万円強という数字が出てきた(ソウル〜哈爾濱はCクラス使用)。参加者募集の案内書には、「片道新潟空港を利用することにより割高になりますが、隣県空港の振興のためということでご理解下さい」とある。まさに義理人情の社会である。
ダブル、トリプル・トラック(複数の航空会社が同一路線に就航していること)では競争原理が働くために当然運賃は下がる。そういう意味で成田、関空と地方空港の格差は限りなく大きい。
しかしながらそのハンディを乗り越えて将来へ向けて着実に歩みを進めている空港もある。それが地方拠点空港である。

利用圏の拡大

新潟が名実ともにその仲間入りをするためには、幾多の課題がある。
まず第一が利用圏の拡大である。県内利用の他、北長野、群馬、埼玉、会津等への積極的な働きかけが不可欠となろう。特に新幹線沿線の北関東(群馬、北埼玉)は人口集積からみても最大の援軍になり得るのではないか。
国際線だけでなく札幌、福岡等の国内線の利用とかけあわせそのとり込みは新潟空港にとっての生命線といっていいほどの重みをもつものと思う。
そのために新潟は何ができるかを真剣に考えるべきだ。
例えば新幹線の空港乗り入れは新潟空港を首都圏の第二空港という位置付けに変えることができる。逆にいえば国際空港としては成田の、国内空港としては羽田の補完空港としての役割を担うために不可欠なのが新幹線の乗り入れということになる。
これに対しては先日、高崎市でのシンポジウムでその推進が提唱され、群馬、埼玉等でその推進のために署名運動が開始された。その中核である群馬の若手経済人たちは、来年の春までには二十万人の署名を集めて、新潟県・新潟市・運輸省・JR等にその早期実現を要請するといっている。
地元である新潟が受動的にこの動きをとらえるのではなく、千載一遇のチャンスとして積極的に対応すべきだと思う。ここでいう積極的対応とは新潟でもその署名運動を展開すべきだということにとどまらない。
例えば空港利用者の新幹線料金を、JR・航空会社等の協力を得て半額にするための努力とか、空港ターミナルの物販に彼らを参加させるためにスペースを提供するとか、観光案内を拡大して彼らのゲートウェイとして認識してもらうとか、我々に課せられた宿題は多い。県日中としても是非そのなかで役割を探し、その役割を果たすべきと思う。

利用客層の拡大

同時に県内では中・高校での修学旅行として、上海〜西安、哈爾濱〜北京というルートを使うよう積極的に働きかけるべきだろうと思う。これからの時代を担う青少年に日中交流の必要性を体感させることは、県日中にとって最大の課題であるはずだ。同時にそれが新潟空港利用の大きな柱となることができれば、一石二鳥ではないだろうか。
日中の関係が友好交流と経済交流という二軸をもって新たな時代へテイクオフしようとしている今、県日中経済交流懇話会との提携を強化しそれらの課題に立ち向かうことは、日中交流のゲートウェイとしての新潟空港の再構築は何としても急務であるとしそれに向けて尽力された前会長の佐野藤三郎氏の遺志を、我々が受け継いでいることの証にもなるのではないだろうか。
(県日中理事・にいがた21の会会長 五十嵐 祐司)


第六面


Business Report
厦門に歯科医院
厦門徳真会歯科センター院長・医療法人徳真会理事長 松村 博史

去る(1998年)六月二十六日、福建省厦門市において日中合作の「厦門徳真会歯科センター」が正式にオープンしました。
この日中合作プロジェクトは、一九九二年より始まった新潟青年会議所と厦門市青年友好同盟を中心とする交流から始まります。その中心メンバーは、当時新潟青年会議所の理事長であった五十嵐祐司氏、委員長の坂井久夫氏をはじめとする新潟JCの皆さんでした。
その後、年に数回の行き来のなかから、五十嵐氏の天才的な人脈づくりのお陰で、厦門市のトップクラスの人達との人脈が広がってゆきました。
そうした交流の過程で私も厦門市に同行させてもらったのですが、一九九四年の初訪問以来何度か厦門市を訪問するなかで、私の仕事である歯科の現状を見る機会を得たわけです。現在では多少進んでいますが、日本のレベルからみれば設備・機材・システム等々多方面においてまだまだ遅れている部分が多い状況でした。
その後、厦門市衛生局口腔病院のトップの方々が我々のグループの診療所を見学に来られ、厦門市の歯科レベルの向上のために中日合作の歯科センターを創ろうという話しが、一九九六年の春頃から具体的になってきました。
丁度その頃、厦門市衛生局の口腔病院が増築にかかっており、その二階部分を提供するからということで、このプロジェクトは動き始めました。
厦門徳真会歯科センターの投資総額は500万元で、五十嵐氏と私が共同出資で(株)プランストーンという会社を興し、プランストーンの現地法人が70%、厦門市衛生局が30%の持分で出資しました。技術・ノウハウ全般にわたっては医療法人徳真会が当り、口腔病院の理事長は私が担当し、日本側五名・中国側二名という理事会構成で運営されております。
ただ、現実、オープンまでの道程は思いのほか長く、やはり国柄の違いを感じる場面が多々ありました。一九九六年秋のオープン予定が遅れること一年半ということを見ても、ご理解いただけるかと思います。
しかしながら、この厦門市の将来性と可能性は非常に高く、外資系企業の進出(現在6000社以上)によるところも多い訳ですが、今年度の経済成長率予測18%という数字をみても、その活力はかつての日本を超えるものがあります。
そして、厦門市の投資環境を整える要因の一つに良質な医療施設の整備があり、そういう面で我々の歯科センターが今後厦門市で果たし得る役割とそれに対する期待は、我々が考える以上のものがあるようです。
現場の医療スタッフは昨年十一月より来日し日本で三カ月間研修の後、日本側スタッフが今日まで厦門市に滞在して教育してきました。
言葉や文化、習慣の違いもあり、日本で新たな医院を開設する数倍の労力をかけているのは事実ですが、オープン以来確かな手応えを感じはじめております。
時あたかもこの(1998年)七月二十二日より、関西空港〜厦門の直行便が週三便(月・木・土)就航することとなり、スタッフの行き来がかなり楽になります。
毎年九月上旬(今年は九月八日)に厦門市の投資商談会が開催されますが、世界各国から様々な企業や行政関係者が来訪されるようです。
皆様も機会がございましたら参加されてみて下さい。


交 流

新発田市海外研修団 阿城市を訪問
新発田日中から五名参加

新発田市では毎年二十人前後の市民(議会をはじめ市内諸団体などの代表で構成)を海外研修に派遣している。
今年の研修先は中国に決まった。このたび開設された新潟〜哈爾濱、新潟〜上海・西安間の定期航空便を使って五泊六日の研修日程である。
阿城市との交流は公式には一九九四年七月、当時、哈爾濱市近郊に友好都市を持ちたいという新発田市の意向を受けて、市長の親書を託された新発田市日中友好協会吉田栄松会長が同市を訪れてから始まった。
その後、九六年五月、阿城市の寇市長以下四人の代表団が新発田市を訪れるなど交流を深めてきた。今回はその答礼の意味も含めて、研修団は八月四日に阿城市を訪ねることになった。
この訪問を通じて両市の相互交流、相互理解が一層深まることを期待している。
因みに、今回の団員の構成は議会及び市当局六、市日中五、農協三、その他商工団体、女性・青年団体、教育、医療関係など十九人である。
(県日中副理事長・新発田日中副会長 宮野 泰)

黒龍江大に留学生
栃尾市日中

『日中双方の子供たちが裸で付き合い、ちがいを理解し合うことが、子々孫々に至る日中友好の近道である』という活動理念に基づいた「少年少女教育交流団派遣並びに受入事業」が、栃尾市民と会員多数の理解と共感を得ています。
その成果として中国への関心が高まり、留学を希望する生徒が現れました。
現在、黒龍江大学で、栃尾市出身の学生五名(四年生一名、三年生一名、二年生一名、一年生二名)が学んでいます。 既に同学の卒業生も一名いて、将来が楽しみです。
(栃尾市日中事務局長 今 井 純 一)


第七面


環日本海地域の将来像
EU的な経済圏形成も可能
中国社会科学院で特別講義

このたび、中国社会科学院からの招聘と日本学術振興会の派遣によって訪中し、中国社会科学院大学院、同日本研究所、北京大学日本学研究センター、清華大学で特別講義・講演を行った。テーマは「環日本海経済圏の形成」と「中国国有企業の改革」であった。
環日本海経済圏の形成については、昨年(1997年)五月に出版された拙著「NHKブックス・環日本海経済圏」の中で、「東南アジア諸国は基幹重工業をもたないのでその成長は長続きしないであろうが、環日本海諸国は基幹重工業をもっているので、うまく誘導すれば長期の発展が可能であり、環日本海地域に水平分業を軸とするEU的な経済圏を作ることも可能である」ことを強調して、「環日本海より東南アジアの時代」を主張する人々の間に物議をかもした。皮肉な事に、それから二カ月後にタイのバーツ危機が起こったわけである。
実は今回「中国国有企業の改革」について話した内容もこの自説の延長線上にある。
最も改革が難しいと言われる大型国有企業は、中国の基幹重工業を担っている。それだけに、改革の方向を誤らぬようにする必要がある。
もし目先の合理化、成長だけにこだわると、それら国有企業は基幹重工業を離れて成長し易い軽工業的な産業に転換する恐れがある。それは国有企業の「郷鎮企業」化であり、中国経済の将来にとってゆゆしいこととなる。郷鎮企業は成長し易い部分で成長したに過ぎないのであり(言わば、安上がりの成長)、成長しにくい部分を担うのが大型国有企業の使命である。
「重厚長大より軽薄短小」というのは先進国の話であり、発展途上の国にとって、基幹産業における資本形成、更にソフト化、ハイテク化への努力は必須である。同時にCALSなど、資本財市場のコンピュータ・システム化が一層の効果をもたらすであろう。
基本科学技術水準の高い中国は必ずやそれをやり遂げるであろう、という確信を得て帰ってきた次第である。
(新潟産業大学教授 金田 一郎)


中国語講座を開講
十一月には物産展
吉川町日中

吉川町日中友好協会では、本年度(1998年度)の新たな事業として「中国語講座」と「中国物産展」を予定しています。
中国語講座は、六月十七日の開講式から第一回目が始まり、毎週水曜日、十二月九日までの間に二十四回開催する計画です。現在受講生は三十名(うち女性八名)、講師の先生は上越教育大学院生の張輝さんから担当してもらっています。
中国物産展は、県日中の協力も得て十一月十九日から二十三日までの間、長峰温泉ゆったりの郷ゲートボール場で開催する予定です。
吉川町日中友好協会では、町国際交流協会と連携して友好の輪を広げて行きたいと思っています。
(吉川町日中事務局次長 佐々木 博一)

食文化の交流で絆むすぶ
亀田郷訪中懇婦人部

初めて中国を訪問して二十年の月日が走馬灯のように流れ去った今、考えると本当に早いものです。
日中両国の平和友好条約が結ばれたのは昔の思い出となり、お互いに喜びと不安を分かちあってきましたが、友好の出会いはすばらしいものと噛みしめています。
亀田郷訪中懇話会婦人部では、料理交流会を開き両国の食文化を紹介しあおうと話し合い、過去五年にわたり実施いたしております。
留学生のみなさんが毎年替ることから毎回初めての面識となりますが、終始なごやかな雰囲気でとても楽しく、水ギョウザのつくりかたなど中華料理のご指導を受けています。 また、日本料理では昔からの伝統であるのっぺ汁・笹だんご・ちまきなど、腕をふるって作り、会食は大好評でした。
今年(1998年)は七月十一日に実施し、「留学生のみなさん、ようこそ日本へいらっしゃい」パーティーを十二時より開会、あいさつ・ご紹介から始め、短い時間ではありましたがいろいろと話し合い、友情あふれる交流会でした。
帰りの際は、一人ひとりが固い握手を交わし「再見、再見」と別れを惜しみました。
遠くて近い友人として、いつまでも友好の絆を強めて行きたいと願っております。
(県日中理事・亀田郷訪中懇婦人部長 吉田 和枝)


第八面


哈爾濱商談会とINTERNET

“ '98中国哈爾濱経済貿易商談会”を前に、INTERNETのHOME PAGEに新たな情報が掲載された。
上図(URL参照:http://www.htfc.hr.hl.cn/)は、哈爾濱商談会専用 HOME PAGEのバナーで、同ページには−1)商談会の概要 2)インビテーションの請求先 3)ビザ申請の窓口 4)出展ブースの料金等 5)出展料金の払込み先 6)展示品の輸送方法 7)会場への入館手続き 8)商談会のスケジュール 9)商談会関連機関のリスト及びビジネスサービスの内容 10)指定旅行社−などの情報が掲載されている。
これに、新たに“華之路”(URLは、http://col.hr.hl.cn/)に出展・商談会参加企業のリストが加えられたもので、ちなみに新潟からの参加については、新潟県産業貿易振興協会・新潟県商工労働部国際経済課・新潟市とある。

哈爾濱商談会は、1990年以降毎年 6月15日から21日までを会期として昨年まで 8回開催されてきたが、商談品目や企業誘致プロジェクトに関するまとまった情報を事前に入手することは難しく、結果として国外企業の参加の道を狭めていたことは否めない。国外からの商談参加企業にとって、予めどのような企業が出展し商談に臨むかを知り得ることは多いに有益なことであろう。
INTERNETは、必要とする情報をリアルタイムに入手し得る有力な手段。対中ビジネスを展開する企業にとっては、不可欠なツールといえる。
(県日中事務局 今野 正敏)


中国語HPをブラウズする方法

中国語表記のHPをブラウズするには、中国語のフォントを要します。下記のHPよりダウンロードするのも一つの方法。

http://www.microsoft.com/msdownload/ieplatform/lang/lang.htm


編集後記

とうとう梅雨明け宣言もないまま、梅雨前線だか、秋雨前線だか分からない低気圧が本県を襲い、県下各地に大きな被害をもたらしました。
私のところは、ほんの軽傷でしたが、住宅や農地などに水害を受けられた方々には心からお見舞い申し上げます。また、モータリゼーションの発達で各家庭には車が複数所有されている所も多いようで、「車が二台、水に漬かってエンジンが駄目になった。大損害だ」とこぼしていた友人もいました。
それにしても、中国の水害は、テレビで見るだけでも規模が違うようです。
当協会をはじめ、県や新潟市などが友好関係を結んでいる黒龍江省、哈爾濱市などの被害も想像を絶するようです。
このほど開いた理事の運営委員会では、早急にお見舞いをしようと決めました。この号にはその報告が間に合いませんでしたが、事は急を要することなので、詳細は次号に書かせて頂きます。
(県日中理事 村上 宗之)