新潟県日中友好協会会報


会報第31号
発行:1999年11月25日


第四面


第13回 県日中・黒龍江省対友協
定期会議を開く

黒龍江省人民対外友好協会の韓廣儒副会長ら三氏を迎え、県日中友好協会との第13回定期会議が8月24日、新潟市のホテルで開かれた。
両協会から出された提案議題をめぐって説明、質問が約四時間続き、実現に向けた努力が確認された。次回は、哈爾濱で開かれる。
黒龍江省側の提案の中では、留学生同士の組織化による交流活動、青少年の定期的な相互訪問交流、中小企業間の交流・合作に対する両協会の対応、黒龍江省対友協が入居予定の建築中のビルに設けられる「中日友好会館」への援助、などが主なもの。
また県日中側からは、「希望工程」・「春蕾工程」などの社会公益活動に対する草の根レベルの協力、中国総領事館の新潟誘致への相互協力−が提案された。
希望工程は、中国青少年発展基金会が取組んでいる辺境の貧困地域の子どもたちを援助する全国活動で、春蕾工程は中国婦女連合会が取組んでいる女児を援助する同様の活動。黒龍江省にも今なお貧困な農村が数多くあり、支援の手を差しのべる必要がある。
(常任理事 村上 宗之)


友好都市20周年を機に
哈爾濱市との経済交流
方正県との係わりを探る

本年は、哈爾濱市との友好都市20周年を迎え、この7月に長谷川義明新潟市長を代表に経済交流団をはじめとした各分野の代表団や多くの市民が哈爾濱市を訪問し、熱烈な歓迎を受けてきました。
両市間の経済交流は、これまでの交流の積み重ねにより、哈爾濱市へ新潟企業の合弁や進出企業が6社、新潟市に哈爾濱市関係企業が2社開設されるなど、積極的な展開が行われてきました。
今回の経済交流団の派遣は、こうした両市間の今までの経済交流を振り返り、今後のさらなる交流へ発展させることを目的に経済交流会議を開催し、お互いに意見交換を行いました。また、この会議では、1998年に開設した新潟ー哈爾濱定期航空路の積極的な活用として、観光をテーマに、哈爾濱市側へ日本人観光客の受け入れ体制についてハード・ソフト面にわたり提言し、同時に新潟市への観光客の受け入れについてPRを行ってきました。航空路の開設により、今後はこれまで以上に多様な交流が進展することを期待しています。
また、新潟市は、哈爾濱市の方正県との農業交流について模索しています。この農業交流がいずれ生産物の輸入へと発展し、新しい経済交流につながることを考えていますが、農業には適地適作の考え方があるため、現地の気候風土については十分な情報収集や調査を行うことが必要です。
今後、協会設立から多くの交流の実績を上げられている新潟県日中友好協会から、この面でのご協力とご支援をお願いいたします。
(新潟市産業企画課主幹 和田 圭央)


第五面


新潟県対外科学技術交流協会
会のモットーは“細水長流”
創立20周年を迎える

お蔭様で、新潟県対外科学技術交流協会は、設立10周年を迎えた。
会は、友好県省である黒龍江省からの新潟県日中友好協会佐野藤三郎前会長を通じて技術交流の呼びかけがあり、日本技術士会北陸支部が主導し当会を設立した。これは、「技術士」という狭い枠にとらわれずに、経験技能を持っている方、さらに支援下さる方も含め、技術士会とは別の団体として設立したものである。
1989年12月13日の設立からこれまで、中国を中心に韓国、ロシアなど環日本海の国々と延べ80回以上に及ぶ科学技術交流を積み重ねてきた。交流の相手国からの技術交流の要望が技能を含めた幅広い分野に及んでいることもあり、国際技術交流に実績のある方や関心のある方など、広く会員を募って、より活性化を図っている。現在の正会員は130名以上、会を支援下さる賛助会員60団体を擁している。 会報も年4回発行で37号を数え、技術交流の実績や関連する国際交流の情報などが満載している。
これまでに、環日本海の現状と今後のあり方を探る「技術者フォーラム」を開催したり、海外の技術者との「環境保全フォーラム」などとともに、一般市民も参加して毎年行われる「交流実績発表会」なども積極的に行ってきた。
交流相手で最も多いのが、黒龍江省。そのテーマは、機械の生産及び品質管理、廃水処理や省エネ対策、建設二次製品の開発、緑化・環境整備、地質調査など、広範にわたる。各年協定書を交わし、相互訪問による技術交流を行っている。
会のモットーは「細水長流」である。無理をせず、細くても長く続く技術交流で、友好に寄与できればと考えている。
この間、1996年に第四回環日本海新潟賞をいただいた。
これから国境を越えた地域化が一層進んでいく。技術を通じて、ボーダーレスの地域の交流に一層の努力をしてゆきたい。10年の節目を機に、技術交流を通じ、実りのある21世紀の環日本海技術交流を目指して一層努力して行きたい。
(新潟県対外科学技術交流協会会長 中山 輝也)


日本海側唯一
新潟〜北京線開設を目指す

8月下旬、磯部春昭新潟県副知事と森邦雄同空港課長が、新潟空港より北京乗り入れについて、「新潟ー北京ー西安」(新設)、「新潟ー哈爾濱ー北京」(哈爾濱線延伸)の二案を携えて訪中、中国民航総局(北京)、西北航空(西安)、北方航空(瀋陽)の関係機関に働きかけをしましたが、その第二弾の行動として、10月8日、敦井栄一新潟商工会議所副会頭、田村巌長岡商工会議所会頭、目黒剛新潟経済同友会副代表幹事など経済界の代表を中心に一行10名が訪中、前述の関係機関に対し実現について再度働きかけをしました。
一連の行動の背景には、@北京乗り入れは長年の懸案A次回の日中航空交渉が2000年上半期に予定され、既に予備交渉が始まっているB北京空港の新ターミナルビルが今秋完成C新潟に乗り入れている西北・北方の両航空両社が積極的に支援している−などがあります。
今回の働きかけに対し、中国民航総局は−〔西北航空の新潟ー北京ー西安線の要求は知っている。真剣に検討する。問題は北京空港での国際線と国内線の旅客・貨物の振り分けとCIQ(入管・税関・検疫)との調整だ。〕とし、西北航空は−〔民航総局が認可すれば直ちに開設できるよう全力で取り組む〕、と話した。
なお、新潟ー哈爾濱ー北京線については、9月6日に北方航空より申請が届いているとの民航総局の情報でした。
また、別席での饒篤釣陜西省人民政府外事弁公室副主任との会談でも同様でしたが、民航総局、西北航空ともに航空マーケットの拡大を強く望んでおり、ビジネス客の増加を狙って、新潟との経済交流を発展させたいと語っていました。
(常任理事・事務局長 本田 淳)


第六面


世界遺産の屯渓老街雨で煙る黄山

上海で一泊した二日目の朝、上海より約一時間の空の旅で、世界遺産登録の屯渓老街、中国五大名山の一つ黄山へと、屯渓空港へ翔んだ。最近、急速に外国人が多く訪れるようになった景勝地と聞かされた。
黄山の名称の由来は、中国古代の伝説上の三皇五帝の一人、『黄帝』にちなんで付けられたとの事である。黄帝は古代において養蚕、文字、医学などを伝授、この地には硯・ねり墨作り、そして薬草の栽培、効用を伝授したと伝えられている。
その黄山市に、墨作りの工房を訪ねた。文房四宝のうち墨と硯の生産場『胡開文畫廊』は、職人が真っ黒になりながら炎からとった煤を練って力いっぱい台に叩き付けながら手作りの墨作りをしていた。工房の外観は現代風だが、その中身は大昔が同居していた。
歩きながら見学した屯渓老街は、私たちをいきなり中世の時代へ連れ込んでしまった。石畳の道路の両側に、漢方薬の店が約千五百bも続く。店の造作は紫檀や黒檀で彫刻を施し、ツタや藤で編んだ籠には何種類もの薬草が店いっぱいに並べられている。世界遺産に登録されており、中世そのままの景観を色濃く残している、懐かしいような、不思議な街だ。○*県(イケン)では、千年近く続いている商家のたたずまいを訪ねたが、人が少なく屋敷も家屋もだだっ広くて、古い先祖の魂か霊がそこら辺に漂っているような気がした。
その日のうちに黄山山麓の雲谷寺山荘に到着。山麓は雲が厚く、周辺の山並みも見えず、明日に期待して夕食のテーブルを賑やかに盛り上げた。三日目の朝も曇り空で、パッとしない。ロープウェーに乗って、黄山の中腹まで一気に登る。朝から合羽が要る天候のなか、上り下りのきつい山道は良く整備され、全部花崗岩の石段になっている。雨で煙る山を、説明を受けながら二時間余りの歩行で西海飯店に到着した。西海飯店は、20年前のケ小平の黄山視察の事を横断幕にして、フロントの上に大きく掲げていた。昼食後、また雨のなか出発し、数ある峰のうちの光明頂(1860b)を極め、幾つかの名勝・景観を濃いガスのなかで想像しながら説明を受けて、夕刻早めに山荘に到着した。圧巻と言われる入り日・ご来光は、断念せざるを得ないようだ。
四日目、予想どおり、小雨模様の意地悪さだった。だが、神は全部を見捨てなかった。朝食を待つ間にだんだんガスが晴れてきて、俄然、山荘内は騒々しく動きが激しくなってきた。山荘前の花崗岩が剥き出しになり程よく松が彩りを添えている山を背景に全員で写真を撮り、話も弾み、足取りも軽く出発した。ますます晴れて、視界はどこまでも見える。
飛来石、獅子峰、猿岩、石人峰、白鵞峰、連理松等など、−奇岩名石ごとの説明は省略させていただき想像していただく事として−、さすが五大名山であるとの感を強く印象付けられ、そして昨日の分もしっかりと取り戻した山行きの旅を終えて、満足して帰国の途についた。一行24名、一人も病気、故障のない帰国は、何よりであった。
(亀田郷訪中懇話会会長 山本 昭二)

○*=“黒”に“多”


厦門再訪 第三回中国投資貿易商談会

1999年9月8日開幕された「第三回中国投資貿易商談会」に参加の為、小林一三新津市長他8名で厦門を訪れた。
この商談会は13回目だが、二年前から国家プロジェクトに格上げされたそうで、現在「中国」という国名を冠したものは従前からの広州交易会と、これも最近新設された深○*のハイテク商談会の三つではないかとの由。会場にはCNNやNHKなど海外からの多数の報道陣に対応するプレスセンターが開設されるなど、関心の大きさが窺われた。
華僑の同窓会という感じの会場には中国国内の省別、更には市別の展示ブースがあり、説明員がいるのだが中国語が話せないと駄目で、日本からの参加の際には通訳が必須となる。アメ横の呼び込みの如く名刺の交換とパンフレットの持ち帰りを要求されるのだが、六ヶ所を廻ったところで名刺はきれ、もらったパンフレットは持ちきれなくなり、申し訳ないがビジネスセンターの前に放置してきた次第(ゴメン!)。しかし、中国ビジネスに興味のある人は、二〜三日通訳をつけてじっくりと廻る価値はあると思う。
九ヶ月ぶりの訪問であったが、ビックリしたのはタクシーが新しくなったこととバイクを見かけなくなった事である。老朋友である陳維欽常務副市長は、環境基準の強化による古いタクシーの営業禁止と、原則として市内でのバイクの使用禁止が効果をあげていると胸を張って「衛生ナンバーワン都市厦門」をPRしていたが、私のところの現地社員のように、折角借金して買ったバイクが使用禁止となった例など、その被害を被った者も少なくないらしい。
しかし、長大橋や国内最大級のコンベンションセンターの建設やそれに伴う再開発などが可能な財政力(一人当たりのGDPが国内三位で油田地帯を除けばトップ)もさる事ながら、酸性雨等の原因となる中国の環境汚染を懸念する者の一人として、このような環境問題への真剣な取組みに明るい未来への可能性を感じた次第である。
(新潟厦門委員会会長 五十嵐 祐司)

○*=“土”に“川”


第七面


百聞如一見
●●●●哈爾濱の明と暗

平成十年度に哈爾濱市と栃尾市の両教育委員会の間で、両市の児童の文化交流を進めることを目的に「友好交流覚書」が交わされた。
この文化交流の在り方について考える過程で、よりよい交流は、「実際に哈爾濱市を自分の目で見て、感じることから始まる」という気運になり、関係者のご尽力により実施することができた。
幸い、この友好交流の基礎を長い間にわたり民間として進めてこられた、本田登栄会長をはじめとする栃尾市日中友好協会の皆様の力強い支援があってこそ実現できたと、感謝している。
お国柄の違う中国のこと、まずは本田会長を講師に、多様な要素を学習してのスタートである。ポイントは、「中国の方は心が大きいですよ。生水には気をつけなさい。後は、実際に触れて見なさい」であった。
現地では、教育委員会の表敬訪問をはじめ、代表的な小学校二校の訪問、子供たちとの交流、校長代表との教育事情の懇談、そして自然、歴史、文化の見学など、いずれもピーンと張り詰めたなかでのものであった。そんななかにも、小学生の「こんにちは、どうぞこちらへ」の流暢な日本語での、優しく明るい声のなかに、中国の子供たちの心を感じ取った気がする。
ここでは、心に残った二点について触れてみたい。
一点目は、兆麟小学校の展示室である。展示品は、日本が中国を侵略し、残忍な行為をした事実を写真にして展示してあることである。初めて訪れた我々には、首をはねられた十人近くの人間の写真は、強烈なショックであり、足が動かなかった。子供たちの明るく優しい笑顔とのギャップをどう埋めたらよいのか、今でも心をしめつける。
二点目は、七三一細菌部隊罪証陳列館である。視察団員のなかでも多数の方が読んでおられる様子であったが、森村誠一著「悪魔の飽食」の場面に直接触れたショックである。私たちは、歴史を知る上で敢えて選んだ見学場所であるが、陳列館に入るその前から、その雰囲気は重苦しい重圧感で迫ってきた。中に入り、当時を証言する事実が数限りなく陳列されている。その一つ一つが、私たちに無言で迫ってくる。「マルタ」に代表される残酷な行為を、戦争という事実と結び付ける時、やりきれない思いが込み上げてきた。また、陳列館の裏には、敗戦を知り、証拠湮滅のために施設を爆破したが、全てを爆破できず、残った二本の大煙突が、これまた無言で私たちの心に迫ってきた。
哈爾濱市の関係者の方々は、「熱烈歓迎」をして下さった。私たちは、「明の部分と暗の部分」の一端を知った上で、これからの児童の文化交流に寄与していきたいと考えている。まずは、見ることの大切さを強烈に感じた訪問であった。
(栃尾東小学校校長 熊倉 官)


日本と中国、とりわけ日本にとって、中国ほど歴史的にも文化的にも大きな影響を受けた国はありません。
現在、県議会議員としまして「日中友好親善新潟県議会議員連盟」の理事を仰せつかっておりますが、この度、平成十一年度新発田市日中友好協会の総会で、会長という重責を担うことになりました。
個人的には、県議会議員当選以来、二十四回の訪中を重ね、この間、いろんな経験で培ったものを、新発田市日中友好協会と新潟県日中友好協会を通して、日中両国の友好交流に少しでもお役に立てればと思っております。
今後、両国の交流がますます発展できますよう、微力ながら専心努力をいたす所存でございますので、吉田栄松前会長同様、ご教導を賜わりますようお願い申し上げます。
(新発田日中会長 石井 修)

淮安市との交流の深まりを求めて
中国大祭典

西山町商工会では、1995年に西山町と友好提携協定を結んだ淮安市をも含めた「中国」についてより一層理解を深め、地域の特性を活かした西山町らしい「まちづくり」を実践するために、商工会青年部と婦人部を主体に、町の協力のもと、9月25日(土)と26日(日)の二日間にわたり、西山ふるさと公苑を会場に「中国大祭典」を企画・実施しました。
当日は、台風一過の晴天にも恵まれ、町内外から延べ6千人もの人が会場を訪れました。水墨画や切り絵などの中国芸術の実演や、千七百年の歴史のある中国獅子舞の公演には多くの人が周りに集まり、「中国」の芸術や伝統・文化についての関心の高さ、奥の深さを感じさせてくれました。他に中国物産の展示即売や中国料理の売店、中国琴の演奏など盛りだくさんのイベントがあり、会場は秋晴れのなか終日賑わいました。
(西山町商工会経営指導員 渋木 富士夫)


第八面


宜昌市“三峡ダム”建設現場視察
1820万kWの巨大発電所

柏崎商工会議所総合建設部会の企画で、宜昌市に建設中の三峡ダム現場を見学してまいりました。
1998年11月に、電力新報社の酒井社長の取り持つ縁で湖北省宜昌市の王副市長一行五名が来柏され、東京電力の原子力発電所を見学された折に西川正純柏崎市長を表敬訪問され、現在世界一の電力基地(800万kW)の有る柏崎市と2009年に完成予定の三峡発電所(1820万kW)の有る宜昌市と友好交流を進めたいと強く要請されておりました。一方、建設部会のダム視察の企画がありましたので、西川市長、市議会議員、東京電力、建設業者四団体18名で実施されました。
三峡ダムは、水害防止、水力発電、船舶運航量の増加に対応する多目的ダム。堤体は、高さ185m、幅約2q。
最終的に70万kWの発電機26基を据え付けるもので、工期は18年間、2009年に完成する予定。
ダム現場視察後、宜昌市を訪れ孫志剛市長をはじめ人民政府関係者の熱烈歓迎を受けてまいりました。現場は、人海戦術と近代的建設機械を駆使しており、今世紀最後の大プロジェクトを目の当たりにし、中国は国土も広いがやる事も大きいとただ感動を得るのみ、大成功のうちに終わり帰国の途につきました。
(柏刈日中理事 植木 柾雄)


吉川町食文化訪中団
●●哈爾濱・上海を訪ねる

黒龍江省人民政府弁公庁交際処並びに花園邨賓館と吉川町の食文化交流は、中国の食文化を広く紹介するために1994年に始められ、吉川町公共施設への調理師派遣も行われています。
中国建国50周年の記念すべき本年8月、交際処から招請を受け、町・議会・吉川町日中友好協会で食文化訪中団を結成し、哈爾濱市・双城市・上海を訪問、三泊四日の過密スケジュールではありましたが、訪問の先々で熱烈な歓迎を受ける有意義な訪中となりました。
新潟空港を1時間遅れの13時10分に離陸、広大な中国大陸の地平線まで続くトウモロコシ畑を眼下に哈爾濱空港に着陸、出迎えを受け哈爾濱市内へ。
黒龍江省教育委員会を表敬、吉川小学校児童の絵画を贈呈し、併せて前年の吉川町児童生徒海外研修団の受け入れに謝意を表明しました。交際処主催の晩餐会では、今後の食文化交流について懇談、和やかななか交流がすすみました。
訪中二日目、朝食もそこそこに双城市を訪問。最初に市内の小学校施設を視察し、次に牛乳工場の進出で景気がよい酪農家を視察。活気と自信に満ちた対応は素晴らしく、感動させられました。早朝6時出発、上海10時30分到着。
1998年に「ゆったりの郷」で開催された大中国展に華を添えて下さった上海少年少女雑技団の縁で、上海市対外文化交流協会の蔡珍華副処長の出迎えを受け、上海龍紅賓館にて交流・昼食会。午後、建設ラッシュで高層ビルが林立する海岸地区を視察・研修。大きく変貌していると予想していましたが、その予想を遥かに越えて国づくりが進んでいることは大きな衝撃でした。
短期間の訪中でしたが、今後の友好交流発展を願い、食文化訪問記を終わらせていただきます。
(吉川町産業課長 常山 久高)


編集後記

特定非営利活動法人(NPO法人)の設立が臨時総会で可決され、10月7日付けで新潟県知事宛てに認証申請書を提出した。
NPO法については、新しい法律でもあり、その理解については事前の説明に多少足りない点もあったが、今までの任意団体から法人化することによって、世間から正式に認知されることになる。従って、従来からの活動が、より以上に社会から認められることが何よりのメリットである。今号では会員の皆さまにさらに理解を深めていただくため、一面から三面で詳しく解説した。
黒龍江省人民対外友好協会との定期会議も13回を数え、過日新潟市で開かれた。県日中側から、「希望工程」に対する草の根協力が提案された。詳しくは二面に掲載されている。黒龍江省対友協との定期会議は、今後は隔年新潟か哈爾濱で相互に行う最初からの原則に戻ることも確認された。
新潟〜西安航空路の開設とともに、陜西省との交流も盛んになってきた。トキの寄贈に始まり、県立近代美術館での「唐皇帝からの贈り物展」、陜西省フェア「トキと陜西省今昔展」等、目白押しだ。
今昔展のオープニングセレモニーでは趙徳全副省長らと親しく懇談、特に朱大安陜西省人民対外友好協会副会長らとは、県日中との関係を深いものにした。
(常任理事 村上 宗之)


〔 完 〕